書評日記 第641冊
妊娠カレンダー
小川洋子
文春文庫
ISBN4-16-755701-0
妊娠カレンダー
 小川洋子に最初出会った本は『沈黙博物館』であった。その後『博士の愛した数式』を読み、『薬指の標本』、そして本書『妊娠カレンダー』に至る。『博士の愛した〜』は本屋さんの第一のお勧めに輝いた本でもある。
 彼女の本には独特の雰囲気がある。芥川賞受賞作である『妊娠カレンダー』は平成2年(1990年)ということで、意外と前だったりするのだが、『沈黙博物館』のもそうだけど、物理的な静謐さ涼やかさというものが文章に溢れている。ともすれば、無感情という形で捉えられかねない文体あるいは主題だったりするのだが、それは無感情/無関心というものではなく、じっくりと腰を落ち着けて観察する静的な洞察力を持った登場人物に彩られている物語である、とすることができる。
 まあ、簡単に言えば「好み」ということなんだけどね。長野まゆみや松浦理恵子の文章を書評するときに四苦八苦するのと同じ感覚がある。いわば「読めばわかる」という感じ。もちろん、「読んでもわからない」人もいるんだけど。
 
 『妊娠カレンダー』では姉の妊娠を妹の立場からみる。森本梢子の『わたしがママよ』的な雰囲気でもなく、江川達也の『たけちゃんとパパ』というわけでもなく、無論『大出産!』でもなく『男の出産』というわけでもない、ああ、石坂啓の『赤ちゃんが来た』というわけでもないね。時期的には赤ん坊が生まれる前の「妊娠」という期間を対象にしているわけだから、『男の出産』に近くもないのだが、『わたしたちは繁殖している』というわけでもないので、つまりは私小説ではなく小説なのである。
 「妊娠」をした姉は以前から精神医に通っている。妹はスーパーに派遣社員として働いていてアメリカ産のグレープフルーツでジャムを作る。それを姉が貪り喰う。シュチュエーション的にはどうということのない設定(と私は思う)なのだが、その妊婦、妊娠、つわり、ホルモン異常という形で語られる一種の閉じた空間を淡々と語るあるいは見る、という形になる。まあ、その頃おこった妊娠本ブームの反動的な役割も担っていたと思うのだが、特に異常性を強調しているわけでもなく、悪魔的でもない。その、本書にある「ドミトリイ」も同じなんだが、ちょっと特異な雰囲気を楽しませてくれる語り部という位置に小川洋子はいるのではないだろうか。
 
 なんというか、登場人物の感情の起伏は乏しい。これは悪い意味ではなく、感情の起伏が乏しいからこそ、静かな観察力がみえてくるという、相反する心理性のような気がする。事件らしい事件がおきるわけではない。しかし決して日常ではなくて、ちょっとした非日常を日常的に生きていく中で、徐々にスライドしていく非日常と読者自身の感情のズレとを楽しむべきなのかな、と。
update: 2004/12/10
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