書評日記 第142冊
記念写真の前は、吐くもの吐き出して、奇麗さっぱりするのが一番です。いろいろ心配していらっしゃる方もおられましょうが、大丈夫です。そんなむちゃくちゃなことはしません。というか、もともとそういう気はなかったということを告白しておきましょう。
さて、本日の書評日記は、CDROMでお読みの方にでも解るようにするべきなのか、ちょっと迷いましたが、ま、長く続いている日記の中でただ一片を切り取られてもよく解らないかもしれません。ただ、俺の初心として、この書評日記の目的は、「より多くの人に本を読んで欲しいし、俺の読んで良いと思った本を皆に知って欲しい。」でありました。最近は、いろいろ、私生活もごたごたしているし、なにかと迷惑を掛けて来たような気もしますが、まあ、大丈夫ですよ。もう、期待はしませんから。あとは、独立独歩、独りでなんとかやっていけるようになりました。
そう、昨日、メールを貰ったけど、もう少し広い視野と世界が俺には必要かもしれません。この日記界の中のみでは、俺の世界は狭すぎます。確かに、いろいろな人がいて、いろいろな文章を書いていて、それぞれの思惑が交錯していて、楽しく暖かい世界ではあります。ただ、やはり、俺には、ちょっと狭すぎるのかもしれません。もうちょっと、いや、もっと自分の事を考えましょう。自分が何をしたいのか、本当に自分がやりたいことをやりましょう。これを機会にね、いろいろ行動範囲を広げみるのもいいかもしれません。それは、インターネットに限らず、現実の世界で、ま、いろいろ。ハッキリとは解りませんが、阿佐ヶ谷に引っ越すわけだし、それに、本格的に独りの生活を始めるわけだし、もっと自分のペースに自分というものを合わせていった方が、将来の俺自身にも今の俺の精神生活にもいいのではないか、と考えています。
あ、そうそう、書評日記をやめるつもりはありません。ただ、もうちょっと作品というもの、文章というものに、自分というものに、真剣に取り組んでいこうと思います。そう、俺個人の時間はものすごく早いです。確かに、歩くのも早い。俺は、いつでも「考えて」います。「考える」ということは、俺にとって息をするぐらい自然なことです。母親に云われます。「あんた、そんなに考え続けて疲れない?」。いえ、俺にとっては考えていない時間の方が疲れるのです。考えていない時間は、ひとと話しをしている時なのかもしれません。無口になり人嫌いになっている時間、俺は非常に密度が濃く充実しています。そして、考え続けた結果を、このように文章に残したり、人に話したりすることで発散させます。そうですね。俺は、ちょっと人に会い過ぎたのかもしれません。もともと人嫌いの俺が、あまり沢山の人に会うのを嫌う俺が、何故かいろいろな人に会いたいと思う。こういう矛盾した生活の中で、出てくるものが歪んできてしまったのかもしれません。そう、俺はしばらく独りで考え、独りで行動するべきなのかもしれません。そして、たまあに会って話をするのが一番なのでしょう。得るべきものは全て得てしまったような充足感があることをここに報告しておきましょう。独り歩くことに寂しさを感じなくなった自分にエールを送りたいと思います。
さて、本日の一冊ですが、うーむ、CDROMになって、擬似インターネットの体験をされる方にも何か・・・とは考えたのですが、ま、そんなに気張る必要もないでしょう。ジョー指月&あおきてつお「緋が走る」を送ります。
現在、11巻まで出版されている漫画です。ほれ、「夏子の酒」がありましたね。夏子という女性が幻の酒を作るまでのお話。それの焼き物版でしょうか。
「夏子の酒」にも色々お酒に関する蘊蓄が含まれていますが、この「緋が走る」にもいろいろな蘊蓄が詰まっています。いや、蘊蓄というかそういう知識そのものも大切な要素ですよね、このテの成功物語的漫画には。「夏子の酒」には、酒の呑み方から、酒の種類、醸造の方法、売買の方法、米の種類、などなど、酒呑みの方には必須(?)の知識が一杯詰まっています。同様に、「緋が走る」にも、土の選別の仕方、ろくろの回し方、土のこね方、窯の種類、などなど、そういう知識がたくさん書いてあります。いや、なんというか、まあ、俺が日本酒が好きだし、焼き物が好きだから、こういう漫画が好きなのかもれません。
ただ、偶然と云えるのでしょうか。「夏子の酒」も「緋が走る」もどちらも幻といも云えるような作品に対して女性が挑むという形式。そして、周りの人がそれを時には厳しく批判をし、時には暖かく見守る、そういう環境の中で幻の品をものにする。そういうストーリー展開になっています。生憎、俺は「緋が走る」の方は4巻までしか読んでいないので、最新刊の11巻がどういう展開になっていうのか解りません。ただ解るのは、ひとつ一生を賭けて何かを成し遂げるということは、いろいろな困難に対して結局の所は独りで対決しなければならない、ということでしょうか。
再び、独りになろうと決心する俺にとって、仲間というものは、そう多く必要はありません。ただ、そう、大きく間違ったことをしでかそうとしたとき、厳しい忠告を与えくれればそれで十分かもしれません。あとは、そう、何かに打ち当たるまで突っ走るのでしょうか。そして、たまに辛くなった時に立ち止まり、傍らの誰かと頭を休めるべく会話を楽しむ、そういう日々になるのでしょうか。
えーと、最期にCDROMでこれを読んでいる方に一言。
他の方がどのような日記を書いているのかわかりませんが、この「日記界」と呼ばれるものは、確かに閉鎖的ではあるものの暖かい世界であり、創造力を刺激される良い穏床であることを知らせておきましょう。まさしく、現在の稀Jrは、この「日記界」の中で育ちました。「日記界」が無ければ、俺は稀Jrを自分で育てることは叶わなかったと思います。そういう雰囲気がここにはあります。直にとは云いませんが、あなたが何かを得たいと思うのならば、しばらく、この世界に浸ってみるのも悪いことではないと思います。
そして、何かを為そうする者へ。
穏床は穏床でしかないことを心に止めておいて下さい。米は苗床を必要としますが、芽が出てしっかりとした根が生えれば、水田に移されます。そして、夏の日差しを浴び、秋に収穫されます。精米されて、身を削られ、酒蔵で醗酵します。醸造を経て日本酒になります。そういう一つ一つの成長の過程には一つ一つ環境の変化が必要だということを知っておいて下さい。今の俺は、まさしく、そういう環境の変化を欲しているのでしょう。
あとは一歩一歩進むだけです。そして、見守って下さるあなたに感謝を致します。
心より、ありがとう。
update: 1996/09/09
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