書評日記 第293冊
「ん」まで歩く 谷川俊太郎

 谷川俊太郎のエッセー集。
 思ったより、いや、思った通り、彼の思考は深い。深みを感じさせる文章は難しい。だが、難しいながらも、考えることを嫌がらずに進んで来た人達(自分を含めて)には、納得のいく文章が続く。

 「……のこと」と表して何かについて語ること自体、「考える」ことを止めない素晴らしさがある。
 もちろん、「考える」こと自体に素晴らしさを見出すこと、それこそ、自己言及なのだが……。

 考えることは、「どこ」かへ進むことだと、彼は云う。
 「どこ」が無ければ、考えない。「どこ」を求めるから考える。
 地面があるから立っていられる。地面があるから進むことができる。
 後ろがあるから、前がある。前があるから、前進することができる。

 それこそが、「考える」こと自体の主張である。
 私は、そうやって、彼の言葉を受け止める。

 人は千差万別というけれど、それほど違っているわけではないと思う。違っているわけではないのに、違っていると嘆くのは愚かしいかもしれない。
 だが、そんなちょっとした違いの中にこそ、全体を覆い尽くす微妙な心象が含まれるのだから、ちょっとした違いに気付く敏感さを養いたい。

 最近思うのは、先行きの不安ではなくて、今の不安。
 何もできない自分を悲しむのではなくて、何もしようとしない自分を悲しむ。
 未だ悲しみの中に沈んでしまうのは、怒涛の如く私自身を襲った不幸の連続のためなのか。
 考えることに飽きることはできない。
 だから、最悪になれば、本当のどこかへ行ってしまえばいい。

 何故、インドに行けないのだろうか……、不思議だ。
 インドに行くのに不安があるのか。行けない理由があるのか。
 未知を恐れる臆病心に侵されているのか。
 それとも、私自身が臆病なだけか。

 逃げる部分に逃げるのが嫌だから。
 そんな理由だけで、此処にいる。
 逃げるのは進むことではないから。本当の飛躍があれば、向こう見ずに飛んでしまって、帰って来ない。
 だんだん、遠くに自分が離れていく。
 あと、1年。

update: 1997/05/06
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