書評日記 第420冊
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葬儀の日
松浦理英子
河出文庫 ISBNISBN4-309-40359-X
松浦理英子の初期作品集として『葬儀の日』、『乾く夏』、『肥満体恐怖症』収録。
彼女の文体は独特である。独特であるがゆえに熱心なファンが多い。だから、年に一度程度の作品を発表するだけでも松浦理英子という作家の名前は忘れられない。作風で云えば山田詠美『蝶々の纏足』のような感じの女性集団の内面が語られる。彼女の描く女性像を見て思うのは、対して男性作家が男性集団を意識的に書いてきただろうか、という疑問である。男性である私にとって男性作家が描く作品は暗黙知の多くを重複させている。となれば、女性作家が自然に描く作品に対する私の視点は男性作家のそれとは大きく違うことを考慮に入れねばならない。ただ、中性……というよりは、男性・女性という性別を抜きにして作品を読んだ時、あたら性差を意識させない共通の概念が描かれているところに安心感を覚える。それこそが、松浦理英子という作家が認められるべき点だと思う。
女性のために女性作家がいて女性用の作品が作られる、という形はかつての文学が、男性のための男性作家がいて男性用の作品が作られていた、ということを言及している。ただし、かつての文学少女達は男性の創り出した小説世界の中でしか「女性」を感じることができなかったことを思い起こせば、現実の性とは確実に遊離してしまっている「女性」が氾濫し続けていることを考えるのは難しくないだろう。
そんな中で作家として独立した形で松浦理英子がいる。女性雑誌に女性向けのエッセーを書くのではなくて、自分が描きたいもの、研究したいもの、追求したいものを描いていく作家として当たり前の姿が彼女には備わっているように思える。
とはいえ、彼女の描く視点は、彼女と同性=女性の面が強調される。多分、男性作家の描く戦争を主題とした作品を女性が読む時に感じる奇異さと同じものがあるのではないだろうか。つまりは「戦争」から続いている男性中心の社会ある男性には無自覚な奇異さではないかと思う。
個人的な感想を云えば、彼女の描く作品はあつぼったい。少年の脂肪のない肌の薄さに対して、女性特有の丸みを帯びたあつぼったさが私には奇異さとして見えてくる。
常にちょっと背伸びをする彼女の作風はどこを目標にしているかといえば、彼女自身が好きだった作品とか文体とか作家だと思う。それが男性作家なのか女性作家なのかこの際関係ない。これからあるのが松浦理英子という作家であり、媚びずに生きていけるだけの独立性を持った彼女の作品が其処にできあがってくるに過ぎない。
男女の性差よりも個人の好みの差が大きくなった時、文学は共有のものになるのではないだろうか。そんな空想をしてしまう作品である。
update: 1998/2/15
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