書評日記 第601冊
華やかな食物誌 澁澤龍彦
河出文庫 ISBN4-30940247-X
澁澤龍彦の文章は硬質的である。同世代の三嶋由紀夫のそれが演劇的であり寺山修司のそれが絵画的であるのに比べて硬く読者の浮ついた想いを跳ね返すような孤高性はときにして澁澤龍彦自身しか理解し得ぬ空間に潜り込んでしまう。
当然「犬狼都市(キュノポリス)」への多くの人の傾倒が示すように愛してやまないといえるような溺愛を誘うスタイルが澁澤龍彦に同時に備わっている。
「孤高性」と書いたが決して孤立ではない。また独立でもない。独自に編み出した技、彼自身が数十年の歳月を掛けたからこそ編みあがって出来上がる独特の組み合わせがある。
声色というものだろうか、ひとりの落語家が語りを極めて死して後に継ぐものは誰ひとりとしてその落語家に及ぶことはなく、しかし後の落語家は全く別の独自性を以って道を切り開き達する、という感じである。
サヴァランの「美味礼賛」を読んだのは大学の頃で、何故これが岩波文庫で出版されているのか不思議であったが、今も不思議である。料理に対する飽くなき探究心というか怖いもの見たさというか食べるという日常的なものを如何にして非日常に昇華させてしまうというか変質させるというか誰もが〈食べる〉行為を逃れられない――あの味気なかった宇宙食(あるいは未来食)も最近ではごく普通に味わうことへ探求を当然の如く続けている――からこそ興味を引き立てるという形である。袁枚の「随園食単」を買ったのだが、谷崎潤一郎の「美食倶楽部」を思い出して漢字から食への想像を逞しくしてみる。幸いにして持っている漢字という共通点から無理矢理引き出される食卓の絵に想いを馳せてみる。
ダリの宝石、「ばさら」と「ばさら」大名、ビーナス、処女にて娼婦、というタイトルから知れる通り決して正統ではない視点を澁澤龍彦は持ち、続け、最期の最期まで夢を持った少年であった。今、同じことをしようとするとどうなのだろうか。むずかしいことだろうか。一年先二年先すら揺らいでわからない、と思わせるような流行に振られていては一歩一歩創ってきた彼の轍を辿ることもままならない。遠くへと故意ならず散策して確実に家へ戻ってくる、そんな気分になれるエッセー集である。
update: 2001/03/06
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