渋谷を再開拓。道玄坂から神泉駅へ行く途中にあるパスタ屋さんで夕食を摂る。ここって2回目なんだが、以前来たときはパスタが出来合いのもの――とはいえそれでも美味かった――だったのだが、このフェットチーネは自分のところで練るようになったのかもしれん、などとビールを呑み、ゆるゆると東武練馬まで帰宅。途中『戦場のピアニスト』を開くも目は開けていられず、何度か乗り過ごすのではないか、と飛び起きては揺ら揺ら。
昼の「みみう」は込んでて入れなかった。
四谷シモンの名を知ったのは澁澤龍彦の『少女コレクション序説』で大学の頃だった。2000年に四谷シモンの人形展が伊勢丹美術館であっていさんで観に行った。人形作家としての四谷シモンしかしらなくて唐十郎の元で演劇をやっていたシモンの姿(写真)を見てひどく驚いたのを覚えている。
『人形作家』は嵐山光三郎の文章ではじまるのだが、最初は何故に嵐山光三郎なのか!と分からずだったのだが、中身を読み進めてみれば、四谷シモンが舞台俳優としてやってきた時代――寺山修司が天井桟敷を主催していた時代――から所謂、世から突出した者達の集まりが時を経て各人の場所へと散り散りになっていった、ということらしい。
実際に彼の創る人形を観るとわかるのだが、いわゆる可愛い人形とは異なる。定型ではない人形の定義は、いまや
エコールドシモンの中で定型となりつつあるのだが、皮膚感覚というか人形に入れ込む想念というか、彼の創る人形は飛びぬけて一体一体の人形に――あるいは一人一人の人形に――対して個性を感じる。『人形作家』の中にも書いてあったのだが、二度と同じ風には作れない一体もの、という作業をしているそうだ。二度と同じものが出来ない、同じものを創ることが出来ないという点で、まさに芸術的な創出作業でもあり、しかし、人形を作るという作業は実に長く根気のいる地道な作業でもある。そういう地道な作業を積み重ねた後にやっとこさ完成品に辿り付くわけだが、作業の間は完成品をイメージしたり、また作業の途中にイメージする完成品が変貌してきたりして、最終的にポンと産まれ出てくる。そういう重みがある人形を四谷シモンはつくる。
この本、池袋のジュンク堂で買って始めの部分だけちょっとだけ読んでしばらくほって置いたんだよね。何故かな。前半の演劇に関わっていた四谷シモンに同化しないようにするために……だったか、単に忘れていただけか。